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東京地方裁判所 昭和61年(行ウ)56号 判決

原告

梁亜明

右訴訟代理人弁護士

笹原桂輔

笹原信輔

被告

東京入国管理局主任審査官

末永節三

被告

法務大臣

遠藤要

右指定代理人

林菜つみ

外五名

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告法務大臣が原告に対してした原告の出入国管理及び難民認定法四九条一項に基づく異議申立ては理由がない旨の裁決を取り消す。

2  被告東京入国管理局主任審査官が原告に対してした退去強制令書発付処分を取り消す。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告の地位経歴

(一) 原告は、一九五九年(昭和三四年)一二月七日にベトナム共和国のシヨンマオ・ビントオンで父親梁亜蚊母親石貴妹との間に出生したいわゆる華僑で、一九六一年(昭和三六年)にベンナに移り住み、同所で就学し、長姉夫婦と生活していた。原告には姉が二人、妹、弟が各一人いた。

(二) 一九七五年(昭和五〇年)四月三〇日、ベトナム共和国の首都サイゴンは北ベトナムの猛攻により陥落し、ベンナを始めベトナム共和国全土は、共産主義国家である北ベトナムの支配下に置かれることになった。そのため、原告は、共産主義国家になったなら華僑である自分は迫害を受けることが明らかであるとの理由から、国外脱出を決意し、同日家族全員とベンナの近隣の人達と共に、漁船に分乗して、国外への脱出を決行した。

(三) 原告の乗った船は、ベトナムを脱出して海を漂流しているところを台湾の軍艦に救助され、同年五月八日台湾に着いた。この時、脱出時の混乱のため家族全員は離れ離れになり、以後今日まで家族の消息はわからず、行方不明のままである。

(四) 原告は、台湾が自分の故国であるわけではなく、家族や知人も全くいなかったので、一九八一年(昭和五六年)一一月一三日に中華民国の護照の発給を受け、一九八二年(昭和五七年)二月二八日観光在留資格で羽田空港より日本に入国した。

(五) 原告は、他に行くべき国もなく、家族や親戚もどこにいるかわからない事態であったので、やむなく東京都渋谷区三軒茶屋にアパートを借り、都内の飲食店等で働いていた。

2  行政処分

(一) 原告は、昭和五六年五月二二日に被告法務大臣が明らかにした、いわゆる流民に対する特別在留許可基準に基づく特別在留許可申請をするため、昭和五九年九月六日東京入国管理局に自主出頭したところ、同年一一月一四日仮放免許可を受け、在宅による調査を受けていたが、入国審査官は、原告を出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)二四条四号ロに該当するものと認定し、特別審理官も右認定に誤りはないと判定した。そこで、原告は、右判定を不服として被告法務大臣に異議の申立てをしたが、同被告は、原告の異議申立ては理由がない旨の裁決をした。

(二) 原告は、昭和六一年四月一八日右裁決の通知を受け取ると共に、被告主任審査官から送還先を中華民国とする退去強制令書の発付を受けた。

(三) 原告は、本件退去強制令書に基づき、右同日東京入国管理局に収容された後同月二五日に横浜入国者収容所に移送され、現在同収容所に収容されている。

3  本件裁決の違法性

被告法務大臣は、原告に対し特別在留許可を付与せず、右裁決をしたが、右処分には、次のとおり、その裁量権の範囲を逸脱した違法がある。

(一) インドシナ難民に関し、一九八一年六月五日に難民条約が国会で承認されたが、日本政府は、同年四月二八日に「難民の地位に関する条約等の加入に伴う出入国管理令その他関係法律の整備に関する法律案」を国会に上呈し、右法案等の審理中である同年五月二二日、第九四回国会の衆議院法務委員会において、左記の方針を明らかにした(以下「本件取扱い方針」という。)。

第一  インドシナ三国の旧旅券で本邦に入国し、そのまま不法在留となった者については、帰る国がないという事情を考慮して、在留を特別に許可する。

第二  台湾、タイ等の第三国旅券を所持していても、それが他人名義の旅券を不正入手したものである場合には第一と同様に取り扱う。

第三  台湾旅券等を正規に取得して、本邦に入国している者については、次のような事情にある者は特段の忌避事由のない限り、在留を特別に許可する。

一  日本人または正規に在留する外国人と親族関係にある者。

二  両親、兄弟等が、第三国の難民キャンプに収容されているなどのために、本邦から出国しても適当な行き先がない者。

三  その他、特に在留を許可する必要があると認められる者。

(二) 原告は、故国を失ったインドシナ難民であり、送還予定先の中華民国には親類もいないし、生活の基盤となるものは何もないのであるから、原告は日本を出国しても適当な行き先がないので、本件取扱い方針の第三の二に該当する。

(三) 原告の姉の夫の弟である鄭惠結は、正規の在留資格をもって日本に居住しているから、原告は、本件取扱い方針の第三の一に該当する。

(四) 原告は、日本語の理解力は充分であり、在日中の生活態度も勤勉かつ真面目であり、性格的にも能力的にもすぐれた資質を有し、日本社会において充分貢献できる人材というべきである。

(五) 被告法務大臣は、現在まで、原告と同様のケースであった者、例えば、盧昌栄(一九八四年四月三〇日許可、ベトナム・ベンナ出身)、何志強(一九八六年三月一〇日許可ベトナム・ベンナ出身)、何志勇(一九八六年三月一〇日許可、ベトナム・ベンナ出身)、梁世泰(一九八六年三月一〇日許可、ベトナム・ベンナ出身)、李沛銓(一九八六年三月一〇日許可、ベトナム・ショロン出身)など、原告と同地域出身者で、原告と共に一九七五年四月三〇日に脱出し、台湾の船に救助された者多数について特別在留許可を与えている。

(六) 以上の事実関係によれば、原告は、前記日本政府の明らかにした本件取扱い方針の第三の一ないし三に明らかに該当する者であるのみならず、被告法務大臣は、原告と同種の事案に対しては特別在留許可を付与しているのであるから、本件裁決には、裁量権の範囲を逸脱又は濫用した違法がある。

4 本件退去強制令書発付処分の違法性

被告主任審査官の本件退去強制令書発付処分は、被告法務大臣の右違法処分を受けてされたものであり、違法の承継の法理により、当然違法である。

よって、原告は、本件裁決及び本件退去強制令書発付処分の各取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1(一)  請求原因1(一)の事実は認める。

(二)  同1(二)の事実中、華僑である原告は、共産主義国家になったなら迫害を受けることが明らかであること、原告と共に家族全員とベンナの近隣の人達も国外に脱出したことは知らない。その余の事実は認める。

(三)  同1(三)の事実中、家族の消息はわからず、行方不明のままであることは知らない。

その余の事実は認める。

(四)  同1(四)の事実中、台湾が原告の故国でなく、家族や知人も全くいないことは否認し、その余の事実は認める。

(五)  同(五)の事実中、原告は他に行くべき国もなく、家族や親威もどこにいるのかわからない事態であったことは否認し、その余の事実は認める。

2  同2の各事実は認める。ただし、原告の退去強制令書に記載されている送還先は「中国」である。

3(一)  同3(一)の事実は認める。

(二)  同3(二)は否認ないし争う。

(三)  同3(三)の事実中、原告の姉の夫の弟である鄭恵結が正規の在留資格をもって日本に居住していることは認めるが、原告が本件取扱い方針の第三の一に該当することは争う。

(四)  同3(四)の事実は知らない。

(五)  同3(五)の事実中、被告法務大臣が、現在まで盧昌栄、何志強、何志勇、梁世泰、李沛銓について特別在留許可を与えていることは認め、その余は知らない。

(六)  同3(六)は争う。

4  同4は争う。

三  被告らの主張

1  本件裁決の適法性

(一) 特別在留許可の法的性格

外国人の入国及び滞在の許可は当該国家が自由に決しうるものであり、条約等特別の取り決めがない限り、国家は外国人の入国又は在留を許可する義務を負うものではないというのが国際慣習法上の原則であって、我が国の法も、かかる原則を前提として定められており、法五〇条による特別在留許可の許否も、被告法務大臣の自由裁量に属するものである。したがって、裁判所が、被告法務大臣の裁量権の行使としてされた特別在留許可の許否の決定の適否を審査するに当たっては、被告法務大臣と同一の立場にたって右許可をすべきであったかどうか又はいかなる処分を選択すべきであったかについて判断するのではなく、被告法務大臣の第一次的な裁量判断が既に存在することを前提にして、右判断が社会通念上著しく妥当性を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、又はこれを濫用したと認められるかどうかを判断すべきものであって、右逸脱、濫用が認められない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして、違法とはならないものというべきである。しかも、特別在留許可は、異議申出人の個人的事情のみならず、国際情勢、外交政策等一切の事情を総合的に考慮したうえ決定されるべきものであって、その判断は国内及び国外の情勢に通暁し、常に出入国管理の衝にあたる者の裁量に任せるのでなければ、到底適切な結果を期待することができないものであり、かつ、特別在留許可自体が例外的、恩恵的措置であることから、その裁量の範囲は極めて広いものであり、被告法務大臣がその責任において裁量した結果については十分尊重されるべきである。

(二) 本件取扱い方針策定の経緯

昭和五〇年のインドシナ三国の戦乱、政変を逃れてこれらの国を離れ、いったん周辺の国(主として台湾)に落ち着き、その国の旅券を取得して我が国へ観光客等を装って入国した後不法残留した者を、従来「インドシナ流民」と呼んでいたが、右流民の祖父母又は父母は中国からインドシナ三国に移住したもので、もともと中国籍を有していた者であり、したがって、その子弟である流民自身も中国籍を有している華僑と考えられ、また、そのほとんどが中国語を話し、インドシナ三国において華僑系の学校に通学している者であり、華僑が台湾政府の行政院の華僑委員会の管轄の下にある関係上、同政府は、流民に対し、容易に同政府の旅券(以下「護照」という。)を発給している。このように、流民は、もともと我が国とは何らかかわりのない者であって、本来であれば護照が発給された台湾で生活すべきものであることは明らかであるが、流民が生まれ育ったインドシナ三国の戦乱、政変を逃れてこれらの国を離れたものであること、流民の両親及び兄弟が難民キャンプにいるか、あるいは所在不明のため、家族と共に生活できない境遇にあること等を考慮して、日本政府は、暫時の政策として流民の取扱い方針を定めたものである。しかし、政変後すでに一〇年余の歳月が経過し、インドシナ半島をめぐる国際情勢も、当時と比較して大きく変化しており、もはや戦乱、政変を逃れたという意識は薄れ、流民自身、台湾におけるよりも我が国の方が生活しやすいというむしろ経済的事情で入国し、不法残留しているのがその実態である。したがって、流民の処遇については、右の流民の実態を踏まえ、流民が正規の旅券の発給を受けている者であり、発給国の国民として既にその保護下にあることから、難民の地位に関する条約にいう難民とは到底認めがたいが、前記の特殊な経緯に鑑み、人道的な配慮をする必要があるか否かを、個々の事案に応じて検討しているのである。

このような本件取扱い方針の経緯から明らかなように、本件取扱い方針を貫いている基本的な考え方は、帰るべき国がないということに重点が置かれている。すなわち、本件取扱い方針の各規定をみると、その第一でインドシナ三国の旧政府発給の旅券所持者について規定しているのは、これらの者は当該旅券が失効し(新政府がこれを有効な旅券として認めていない。)帰国できないためである。次に、その第二で他人名義の不正旅券入手者についてを規定しているのは、流民の所属する国の政府が、流民に対し旅券を発給する可能性が少ないためである。したがって、日本政府としては、本件取扱い方針の第一及び第二に該当する者に対しては法五〇条一項三号に規定する特別在留許可を付与せざるをえないとの観点に立って、国会においても在留を特別に許可する旨を述べているのである。ところが、その第三についてみると「台湾旅券等を正規に取得して本邦に入国している者」についての規定であるから、当然台湾政府等の保護下にある者であって、いつでも帰国できるのであり、また、流民の多くが経済的事情で我が国に入国して不法残留しているとの実態から、個々の事案毎にケース・バイ・ケースで検討して処遇を決めることとしているのであって、右の場合については政府の広範な自由裁量に委ねられているのである。

(三) 原告の地位、状況

(1) 原告の出生、家族関係、台湾に上陸するまでの状況は、原告主張のとおりである。

(2) 原告は、昭和五〇年五月八日長姉夫婦とともに台湾の高雄に上陸後、約一カ月難民センターで生活し、その後、台北市へ行き、同地に居住して自動車工場桃園にある萬国工業股有限公司の鋳物工場等の旋盤工として稼働し、この間昭和五四年四月一八日から昭和五六年四月一七日まで二年間徴兵により兵役に服した。

原告は、在日中の友人からその生活ぶりを聞き、より良い生活を求めて日本で稼働することを決意し、昭和五六年一一月一三日台湾政府から台湾旅券及び交流協会在台北事務所を通じ渡航証明書の発給を受けたうえ、昭和五七年二月二八日日本に至り、稼働目的を隠して東京入国管理局羽田空港出張所入国審査官から法四条一項四号に該当する者としての在留資格及び在留期間九〇日を付与され上陸した。原告は、その後東京都内のパブ、中華料理店等の店員として稼働した後、昭和五八年一二月一日から東京都渋谷区所在のパブ「グリーンガーデン」でコックとして稼働していたが、この間原告は在留期間更新申請をすることなく、昭和五七年五月二九日を越えて不法残留してきた。

(四) 原告の特別在留許可非該当性

(1) 難民とは、難民の地位に関する条約一条A2に定める「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあること又は政治的意見を理由に迫害を受ける恐れがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためその国籍国の保護を受けることを望まないもの」をいうのであるが、原告は台湾府発給の中華民国旅券を所持し、右旅券に「人字」回台簽を取り付けており、右「人字」とされた回台加簽は、台湾に戸籍がある一般国民に発給されるもので、その有効期間は旅券の有効期間と同一であるから、旅券が国外で延長される限り有効なものであって、その間何回でも台湾に入出境できるものである。したがって、原告は現に同政府の保護下にあるばかりか、台湾においては難民条約にいう迫害をうけるおそれが全くないのであって、このような者が難民条約にいう難民に該当しないことは明らかである。

(2) 原告は、前記のとおり、昭和五〇年四月三〇日に台湾に入境し、その後昭和五七年二月二八日に日本に入国するまで、約七年間台湾で稼働し、生活していたものである。そして、台湾には、原告が二歳のときからベトナムを離れる一六歳までの一四年間生活を共にし、親代わりとなっていた姉夫婦がおり、姉弟が精神的に助力し合って台湾で生活することの方が自然である。

なお、原告には、姉の夫の弟であり、正規に在留資格を得て日本に居住する鄭惠結がいるが、本件取扱い方針の第三の一にいう「親族」とは、依存関係にある親、兄弟の範囲をいうのであるから、これまで何ら依存関係になかった原告と鄭惠結の関係にまで及ぶものではない。

したがって、原告が本件取扱い方針の第三の一、二に該当しないことは明らかである。

また、原告の入国が稼働目的であること、親族のいる台湾で生活し得ないわけではないと考えられることからして、原告が本件取扱い方針の第三の三に該当しないことも明らかである。

(3) 盧昌栄、何志強、何志勇及び梁世泰は、それぞれ父母兄弟等がベトナムに居住するか、ないしは所在不明のものであり、李沛銓は、原告及び右四名のようにベトナムからの脱出の途中台湾の軍艦に救助されて台湾に上陸した者ではなく、昭和四八年八月ベトナムから単身台湾に渡った者で、その父母妹弟はアメリカ、姉はフランス、そして妹はカナダにそれぞれ移住している者である。このように、右五名の者は、いずれも台湾に親族が全くいない者である。しかも、右李は、昭和六〇年五月から日本人女性と同棲しており、同女は当時妊娠中であって(昭和六一年二月一八日婚姻届)。したがって、右五名の者については、脱出時の状況に一部共通した事情があるが、必ずしも原告と事情が同一とはいえない。

2  本件退去強制令書発付処分の適法性

法によれば、入国警備官は法二四条に該当する疑いのある外国人(以下「容疑者」という。)があれば調査したうえ入国審査官に引き渡さなければならず、入国審査官は、当該容疑者が同条に該当するか否かを速やかに審査のうえ、認定することを要し、また、当該容疑者が口頭審理を請求したときには、特別審理官は、口頭審理を行ったうえ、右認定に誤りがないかどうか判定しなければならず、更に、容疑者が異議の申出をしたときには、被告法務大臣は、その異議申出に理由があるかどうか裁決するものとされている。これら入国審査官の認定、特別審理官の判定及び被告法務大臣の裁決は、いずれも当該容疑者が法二四条各号の一に該当するか否かについてのみ判断することとされている。そして、被告主任審査官は、右の認定若しくは判定が確定し、又は異議の申出が理由がないとの裁決があったときには、当該容疑者に対する退去強制令書を発付しなければならず、その手続きにおいても、退去強制令書を発付するか否かについて被告主任審査官には全く裁量の余地がない。しかして、原告が在留更新許可申請をすることなく、昭和五九年二月二九日を越えて本邦に不法残留している者であることは、原告も認めるところであるから、原告が法二四条四号ロに該当することは明らかであり、本件退去強制令書発付処分に何ら違法な点はない。

四  被告らの主張に対する原告の認否及び主張

1(一)  被告らの主張1(一)のうち、法五〇条一項による特別在留許可の許否は、被告法務大臣の裁量に属するものであることは認めるが、その余は争う。

被告法務大臣は、特別在留許可にあたっては、国際情勢を十分考慮したうえで、憲法の標榜する国際協調主義及び人権尊重主義を尊重しなければならず、裁量権があるといっても被告ら主張のように無制限に広範なものではない。

(二)  同1(二)は争う。

(三)  同1(三)(2)の事実中、原告が在日中の友人の生活ぶりを聞き、より良い生活を求めて日本で稼働することを決意し、稼働目的を隠して入国したとの点を否認し、その余は、萬国工業股有限公司における稼働事実及び兵役の事実を除き認める。

(四)(1)  同1(四)(1)の事実中、原告は台湾政府発給の中華民国旅券を所持し、右旅券に「人字」回台加簽を取り付けていることは認め、右「人字」とされた回台加簽は、台湾に戸籍がある一般国民に発給されるもので、その有効期間は旅券の有効期間と同一であるから、旅券が国外で延長される限り有効なものであって、その間何回でも台湾に入出境できるものであることは知らない。その余は争う。

(2) 同1(四)(2)の主張は争う。

(3) 同1(四)(3)の事実中、盧昌栄、何志強、何志勇及び梁世泰は、それぞれ父母兄弟等がベトナムに居住するかないしは所在不明のものであり、李沛銓は、原告及び右四名のようにベトナムからの脱出の途中台湾の軍艦に救助されて台湾に上陸した者ではなく、昭和四八年八月ベトナムから単身台湾に渡った者で、その父母妹弟はアメリカ、姉はフランス、そして妹はカナダにそれぞれ移住している者であり、右五名の者はいずれも台湾に親族が全くいない者であること、右李は昭和六〇年五月から日本人女性と同棲しており、同女は当時妊娠中であった(昭和六一年二月一八日婚姻届)ことは認め、その余は争う。

2  同2のうち、本件退去強制令書発付処分に何ら違法はないとの点は争い、その余については認める。

第三  証拠〈省略〉

理由

一本件各処分に至る経緯のうち、被告法務大臣が、昭和五六年五月二二日第九四回国会の衆議院法務委員会において、

「第一 インドシナ三国の旧旅券で本邦に入国し、そのまま不法在留となった者については、帰る国がないという事情を考慮して、在留を特別に許可する。

第二 台湾、タイ等の第三国旅券を所持していても、それが他人名義の旅券を不正入手したものである場合には第一と同様に取り扱う。

第三 台湾旅券等を正規に取得して、本邦に入国している者については、次のような事情にある者は、特段の忌避事由のない限り、在留を特別に許可する。

一  日本人または正規に在留する外国人と親族関係にある者。

二  両親、兄弟等が、第三国の難民キャンプに収容されているなどのために、本邦から出国しても適当な行き先がない者。

三  その他、特に在留を許可する必要があると認められる者。」

旨のいわゆる流民に対する特別在留許可についての本件取扱い方針を明らかにしたこと、原告は、本件取扱い方針に基づき、特別在留許可の申請をするため、昭和五九年九月六日東京入国管理局に自主出頭したこと、原告は、昭和五九年一一月一四日仮放免許可を受け、右許可に基づき在宅による調査を受けていたが、入国審査官は、原告を法二四条四号ロに該当するものと認定し、特別審理官も右認定に誤りはないと判定したため、原告は、右判定を不服として被告法務大臣に異議の申立てをしたが、被告法務大臣は、原告の異議の申立ては理由がないとして本件裁決をしたこと、原告は、昭和六一年四月一八日右裁決通知を受け取ると共に、被告東京入国管理局主任審査官から、送還先を中華民国とする本件退去強制令書の発付を受けたこと、原告は、本件退去強制令書に基づき右同日東京入国管理局に収容され、その後昭和六一年四月二五日に横浜入国者収容所に移送され、現在同収容所に収容されていること、以上の事実は、当事者間に争いがない。

二原告の地位、経歴等に関する事実(請求原因1及び被告らの主張1(三))のうち、原告は、昭和三四年一二月七日にベトナム・ションマオ・ビントオンで父親梁亜蚊、母親石貴妹の三男として出生し、昭和三六年ころにベトナム・ベンナに両親と共に移り住み、同所で就学し、長姉夫婦と生活していたこと、昭和五〇年四月三〇日にベトナム共和国の首都サイゴンが北ベトナム軍の攻撃により陥落し、居住地のベンナにも危険が及ぶに至ったので、原告は、長姉夫婦らと共に漁船でベトナムを脱出し、漂流しているところを台湾の軍艦に救助され、五月八日台湾の高雄に上陸したこと、原告は、約一カ月間台湾にある難民センターで生活した後、台北市へ行き、同地に居住して自動車工場、鋳物工場等の旋盤工として稼働していたこと、原告は、昭和五六年一一月一三日台湾政府から台湾旅券及び交流協会在台北事務所を通じ渡航証明書の発給を受け、更に翌年に中華民国の護照の発給を受けたうえ、昭和五七年二月二八日東京入国管理局羽田空港出張所入国審査官から法四条一項四号に該当する者として在留資格及び在留期間九〇日を付与され観光在留資格で羽田空港より本邦に上陸したこと、原告は、その後渋谷区三軒茶屋にアパートを借り、東京都内のパブ、中華料理店等の店員として稼働した後、昭和五八年一二月一日から東京都渋谷区所在のパブ「グリーンガーデン」でコックとして稼働していたが、この間、原告は、在留期間更新申請をすることなく、昭和五七年五月二九日を越えて日本に残留していたこと、以上の事実は、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、原告は、中国籍(広東省合浦県)を有しており、ベトナムでは中学退学後同国を出国するまで長姉夫婦と共に生活し、同人らの子供の子守等をしていたこと、原告の父は、原告がベトナムを出国するとき既に死亡していたこと、原告の母親及び二番目の姉、妹は、いずれも行方不明であること、原告は、台湾到着後一月間難民センターで長姉夫婦等と一緒に生活していたこと、原告は、昭和五〇年六月から昭和五一年二月まで自動車製造会社である信昌公司で、その後台湾の桃園にある食器製造会社である萬国公司でいずれも旋盤工として稼働し、その間、二年間の兵役に服したこと、原告は、友人等から日本は生活がしやすいと聞き、日本で仕事を見付けてそのままずっと滞在しようと考え、右の入国目的を秘して観光目的で旅券を取得して日本に入国したこと、原告は、日本に入国後、昭和五七年四月から約一年間パブ「アメリカン」で皿洗いとして、その後約一月間中華料理店「南国」でボーイとしてそれぞれ稼働し、その他いくつかの飲食店を経て、昭和五八年一二月一日から前記「グリーンガーデン」でコックとして稼働していたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

三ところで、法五〇一条一項は、被告法務大臣の裁量により、異議の申出が理由がないと認められる場合でも特別在留許可を与えることができる旨を定めたものであるが、その一、二号で、在留を特別に許可できる具体的な場合の要件を定めると共に、同三号で「その他法務大臣が特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき」と規定して、特別在留許可を付与するか否かの判断を、被告法務大臣の広範な自由裁量に属するものとしている。これは、外国人の入国及び滞在の許可は当該国家が自由に決しうるものであり、条約等特別の取り決めがない限り、国家は外国人の入国又は在留を許可する義務を負うものではないという国際慣習法上の原則を前提として定められているものと解される。ことに、特別在留許可は、異議申出人の個人的事情のみならず、国内情勢、国際情勢、外交政策等諸般の事情を総合的に考慮したうえ決定されるべきものであるから、その判断は、その性質上国内及び国外の情勢に精通し、常に出入国管理の衝にあたる被告法務大臣の自由な裁量に任せるのでなければ適切な結果を期待することができないものであり、さらに、特別在留許可の制度自体が、許可申請者の具体的権利に基づくものではなく、法五〇条一項三号の「特別」の「事情」があるものに在留を許可するという規定からも明らかなように、国家の例外的、恩恵的措置という性質を有するものであるから、被告法務大臣の裁量権の範囲はより広範なものであり、それが違法との評価を受けるのは、被告法務大臣の判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が全く事実の基礎を欠く場合あるいは事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により右判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠く場合等に限定されると解すべきである。

また、被告法務大臣が昭和五六年五月二二日第九四回国会の衆議院法務委員会で原告主張のいわゆる流民についての本件取扱い方針を明らかにしたことは、当事者間に争いがないところ、〈証拠〉によれば、本件取扱い方針は、インドシナ流民の窮状に鑑み、人道的見地から、これらの者に対する被告法務大臣の裁量による特別在留許可の運用に関し、政策的次元で一定の対処方針の大綱を定めたものであり、本件取扱い方針の第一、第二に該当する限り、原則として特別在留許可が付与され、同第三の台湾旅券等を正規に取得して本邦に入国している者に該当する場合はケース・バイ・ケースで検討、対処されるが、そのうち、第三の一ないし三に該当する場合には、特段の忌避事由がない限り、特別在留許可が考慮されるものであることが認められる。そうすると、本件取扱い方針は、法五〇条一項による被告法務大臣の特別在留許可に関する裁量権の行使について、被告法務大臣自ら運用基準を定めたものであり、これが現実に実施に移されている(前掲各証拠により認められる。)以上、本件取扱い方針に反する運用がなされたときは、特段の事情の認められない限り、それは、被告法務大臣の裁量権の範囲の逸脱又は濫用として、違法となるものと解すべきである。

四そこで、以上の認定事実及び特別在留許可の法的性格に照らして、原告の主張するように、被告法務大臣のした本件裁決に裁量権の範囲の逸脱又は濫用による違法が存したかどうかについて判断する。

1  まず、原告は、原告が故国を失ったインドシナ難民であり、送還予定先の中華民国には親類はおらず、生活の基盤となるものも何もないのであるから、原告は日本を出国しても適当な行き先がないので、本件取扱い方針の第三の二に該当する旨を主張する。

しかしながら、「難民」とは、難民の地位に関する条約一条A(2)に定める「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分な理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいるものであって、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」をいうところ、原告は、台湾旅券である護照の所持者であって、その護照に「人字」回台加簽を取り付けており、兵役に就いていた約二年間を含めて日本に入国するまでの約七年弱の間台湾で生活していたものであることは、当事者間に争いはなく、弁論の全趣旨によれば、台湾旅券の有効期間中は台湾への入境が最終的に保証されていることが認められるのであるから、原告がいわゆる難民であると認めることはできない。のみならず、原告が幼少時に約一四年間生活を共にした実の姉夫婦が台湾に居住していること、原告自身が台湾で食器の製造会社で稼働していたことは、前記のとおりであり、本件の全証拠に照らしても、原告が台湾に帰国して生活することが特別に困難であるという事情は窺われず、原告にとって、台湾が、日本を出国した場合の適当な行き先にならないということはできない。したがって、本件取扱い方針の第三の二に該当しないとして原告に特別在留許可を付与しなかった被告法務大臣の判断に、事実の誤認あるいは合理性を欠く評価があるということはできず、原告の右主張は失当である。

2  次に、原告は、姉の夫の弟である鄭惠結(以下「鄭」という。)が正規の在留資格をもって日本に居住しており、原告は本件取扱い方針の第三の一に該当する旨を主張する。

しかしながら、前掲乙第一五号証によれば、法務省の入国管理局長は、第九五回国会衆議院法務委員会において、法務委員会委員の質疑に対して、「本件取扱い方針の第三の一は、家族の離散をなるべく防止して、人道上の配慮をしようという考え方に基づくものであり、右方針にいう『親族関係』とは夫婦、親子、兄弟であって、生活上お互いにある程度の依存関係が認められる場合を想定している」旨を答弁していることが認められる。ところで、鄭が原告の長姉の夫の弟であって原告の直接の兄弟ではないことは、当事者間に争いがなく、前記証人鄭の証言によれば、同人は、原告が来日した際、原告に居住用のアパートを斡旋したことはあるものの、日本において原告と一緒に生活したことはないことが認められるから、右入国管理局長の答弁によって推認される被告法務大臣の本件取扱い方針の解釈に照らせば、原告が本件取扱い方針の第三の一に該当しないことは明らかであるといわざるを得ない。そして、原告と鄭との関係が前記の程度のものであり、本件の全証拠によっても、原告と鄭との間に、両者が共に生活することを保護しなければならない程の強固な精神的、経済的な依存関係があると認めることができないから、被告法務大臣が、鄭は本件取扱い方針の「親族」には当たらないとして、原告に特別在留許可を認めなかったとしても、被告法務大臣の裁量に事実の誤認、あるいは不合理な評価があるということはできず、原告の右主張は失当である。

3  また、原告は、日本語の理解力は充分であり、在日中の生活態度も勤勉かつ真面目であって、性格的にも能力的にもすぐれた資質を有し、日本社会において充分貢献できる人材というべきであり、したがって、原告は、本件取扱い方針の第三の三に該当するから、特別在留許可を認めなかった本件裁決は裁量権を逸脱している旨を主張する。

しかしながら、原告が日本に入国した目的は、単に経済的によりよい生活をしたいというものであることは、前記認定のとおりであり、また、当裁判所の行った原告本人尋問の際に中国語の通訳を介していることは、当裁判所に顕著な事実であって、前記乙第二号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、北京語、広東語、ベトナム語は話せるものの、日本語は簡単な会話程度しかできないことが認められ、前記認定のとおり、原告が日本に入国後稼働していたのはいずれも飲食店であって、稼働していた期間も最も長い店で一年余に過ぎないこと等の諸事情を総合すれば、原告の日本における生活状況は、未だ安定したものとは到底いいがたく、他方、前記認定の原告の台湾での生活、稼働状況によれば、原告が台湾に帰って生活していくことは十分可能であり、何らの障害も認められないのであって、これらの原告の状況に、特別在留許可が前記のとおりあくまでも恩恵的、例外的な措置で、被告法務大臣の裁量権の範囲は広範なものであることを併せ勘案すれば、被告法務大臣が、原告は本件取扱い方針の第三の三にも該当しないとして、原告に特別在留計可を付与しなかったとしても、その判断が社会通念上著しく妥当性を欠くものと認めることはできない。

4  最後に、原告は、被告法務大臣は現在まで、原告と同様のケースであった者、例えば、盧昌栄(昭和五九年四月三〇日許可、ベトナム・ベンナ出身)、何志強(昭和五一年三月一〇日許可、ベトナム・ベンナ出身)何志勇(昭和五一年三月一〇日許可、ベトナム・ベンナ出身)、梁世泰(昭和五一年三月一〇日許可、ベトナム、ベンナ出身)、李沛銓(昭和五一年三月一〇日許可、ベトナム・ショロン出身)など、原告と同地域出身で、原告と共に昭和五〇年四月三〇日に脱出し、台湾の船に救助された者多数について特別在留許可を与えているという事情があるから、原告に特別在留許可を付与しないのはまさに裁量権の濫用である旨を主張する。

確かに、被告法務大臣が現在まで盧昌栄、何志強、何志勇、梁世泰、李沛銓について特別在留許可を与えていることは、当事者間に争いがないが、しかしながら、他方、李沛銓は、原告及び李以外の右四名のようにベトナムからの脱出の途中台湾の軍艦に救助されて台湾に上陸した者ではなく、昭和四八年八月ベトナムから単身台湾に渡った者であり、また、右五名の者は、いずれも台湾に親族が全くいない者であること、右李は昭和六〇年五月から日本人女性と同棲しており、同女は当時妊娠中であった(昭和六一年二月一八日婚姻届)ことも、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、李の一番目の兄は戦死し、二番目の兄と姉がフランスに、すぐ下の妹がカナダに、その余の姉妹及び両親はアメリカ合衆国にそれぞれ居住していること、梁世泰の父親は既に死亡していて、兄弟はなく、母親はベトナムで行方不明であること、何志強、何志勇は兄弟で、兄はオーストラリアに移住しているが、ベトナムにいるはずである両親と妹とは音信不通であること、盧昌栄の両親兄弟も消息不明であることが認められ、右認定に反する証拠はないから、右五名の者については、脱出時の状況等に一部原告と共通した事情はあるが、親族、家族関係等の事情が原告とはそれぞれ異なっており、特別在留許可を付与すべき必要性がいずれも原告より高いことが窺われる。したがって、右五名に特別在留許可が付与されていることをもって、直ちに原告にも特別在留許可を付与すべきであり、これを付与しなかったのは裁量権の濫用で違法であるということができないことは明らかである。

5  以上のとおりであって、本件において、被告法務大臣がその裁量権の範囲を逸脱又は濫用して本件裁決を行ったものと認めることはできず、本件裁決に原告主張のような違法はないものといわなければならない。

五本件裁決が違法であるとはいえない以上、本件裁決の違法性を承継して本件退去強制令書発付処分も違法である旨の原告の主張は、その前提を欠き失当である。

六よって、本件各請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官宍戸達德 裁判官山﨑恒 裁判官生野孝司)

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